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さくらさくらの軌跡

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当社は、福岡の町の一角に、小さな編み物教室として最初の火を灯しました。

先代の他界が機となり、さくらさくらは誕生します。

葬送の専門家の皆さまから儀礼文化を学び、ご意見・ご要望をいただき5年の歳月を経て、今までの常識では考えられないセオリーと
衣装コンセプトを確立しました。

この取り組みがやっと起動に乗り出したある日。現代表が癌の告知を受け、闘病生活を送ることとなりました。
そのような中で「最後まできれいでいたい女性の気持ち」と
「希望を叶えてあげたい家族の気持ち」を目の当たりにし、再び強い使命を感じてゆきました。

「その働きは誠実であるか。美しいか。」

先代が貫いた信念を引き継ぎ、この言葉は、さくらさくらの指針となっています。

1958年
昭和33年

編み物教室として創業

創業当時の写真

1968年
昭和43年

洋裁店に業態変更

洋裁店

1974年
昭和49年

婦人服の量産縫製工場へ拡大

量産縫製工場

1994年
平成6年

アパレルメーカー
株式会社ルーナ法人設立(先代と現代表で設立)

2001年
平成13年

先代の逝去に伴い現代表へ代替わりし、事業を継承

2004年
平成16年

おみおくりの正装(エンディングドレス)
“さくらさくら”商標登録出願

2005年
平成17年

おみおくりの正装(エンディングドレス)
“さくらさくら”商標登録

商標登録

2006年
平成18年

  • 綜合ユニコム社主催 フューネラル(葬儀)ビジネス展 初出展
  • 福岡市中央区西中洲に日本初のエンディングドレスブティックオープン
  • おみおくりの正装“さくらさくら”インターネット販売開始
エンディングドレスブティック

2007年
平成19年

おみおくりの正装“さくらさくら”意匠登録出願

2008年
平成20年

「ブティックに棺を置く」展示方法が話題となり反響を呼ぶ ・おみおくりの正装“さくらさくら”意匠登録

おみおくりの正装“さくらさくら”意匠登録

2016年
平成28年

綜合ユニコム社月刊誌『フューネラルビジネス業界創生人』で、“エンディングドレス業界”の草分けとして取り上げられる

綜合ユニコム社月刊誌写真

2017年
平成29年

福岡市博多区住吉へ移転
エンディングドレスサロンオープン

サロン内部

さくらさくら誕生秘話

歴史的商品""
  • 大切な方を美しく見送りたいという代表の想いから、さくらさくらは生まれました。そんな誕生秘話をご紹介します。



    父との別れ

    2001年6月。長雨続きのある朝。

    「ちょっと病院に行ってくる。すぐに帰るから」。続けざまに咳こむ父は、いつも通り背広に袖を通し、軽く社員に声をかけ、検査入院のため病院に。そのまま帰宅を許されず、精密検査のため入院することとなりました。その後、肺がんの診断が下され、片肺全摘の緊急手術を受けた同年12月。父は急逝しました。
    いつも強気で、とても話好きだった父。さいごに私に遺した言葉は「た」。「の」。「む」。ただそれだけでした。

  • お着替えの用意

    心臓マッサージで血のにじむ父の患者着。「今からお父様の清拭とお着替えをしますので、着せたいものはありますか?」と尋ねられました。看護師さんから「お父さんに着せたいものはありますか?」と尋ねられました。背広で入院したため、それはしっくりこなかったので、「売店で浴衣を買ってきてください」と伝えられあわてて買いに行き、着せていただきました。
    父の姿は人工呼吸器や心電図、点滴の苦しみや苦しみからやっと解放され、いつもの父の素顔に見えました。ただ、白地の浴衣には馴染みがなかったこともあり、父のようで父でない姿に、次第に寂しさが押し寄せて悲しみが一気に広がっていくのがわかりました。

  • お葬式

    翌日になって、父の死を受容する間もなく葬儀の準備が始まりました。
    まず初めに、お着替えから。納棺師さんがあらためて遺族の前で体を拭いてくださり、死化粧を施してくださいました。
    「まずは仏衣。白い着物には意味があり・・・。手甲、脚絆は道中おけがをされないように・・・。六文銭は三途の川を渡れるように・・・」。と、幼い娘たちにもわかりやすく説明してくだり、昔から続く仏式の習慣を学ぶことができました。
    綿の浴衣から艶やかな白装束へ。同じ白の着物でも、ラフな浴衣から、つややかな絹織物へと整えていただいた父の寝姿は、とても凛々しくもありました。生前とは違う衣を纏ったことは、私たち遺族のお見送りの気持ちを確かなものにし、お別れを受け容れる大切な供養のプロセスだと実感しました。
    ただ、残念に感じたこととして、価格の違いはあっても、デザインは同じようなものばかり。もっとテイスト違いの選択肢があっても良いのではという疑問が残りました。

  • 親友の死

    翌月の2002年、学生時代からの親友が若くして白血病で亡くなったという知らせが届きました。いつも明るい色ばかりを身に着け、とてもおしゃれだった彼女もまた、父と同じような白装束で旅立ちました。デザインを学び、クラスの中でも特に個性的だった彼女。久々の再会は、いつもの彼女がさらに、遠くの人となったことを知らされました。唯一救われたのは、お母様の手縫いの赤い帽子がとても愛らしく似合っていたことでした。
    最期の姿は心に刻まれる。本人らしさが感じられ、お別れを受容でき、家族や友人たちが心安らぐ衣装とは・・・。
    これらの出来事が、最期に袖を通すものこれでいいの?という疑問は、洋服屋としての課題として熟考しはじめたきっかけとなりました。

文書一覧""
  • コンセプト

    世の中にないのなら、よし、作ってみよう。思い立ったらまずは、コンセプトから。当時スマホはもちろん、恥ずかしいことに社内にパソコンもありませんでしたので、とりあえず大型書店、図書館と入り浸り、書籍からの情報収集から早速スタートさせました。
    葬送文化、おそうしきマナー集、服飾史、喪服史、死生観、和服の歴史などを、飽きることなくひたすら休日に時間を忘れて読み続けました。確かなコンセプトを確立するために、出来るだけたくさんの情報を吸収し、やがてヒントは得ることができましたが、そうして気づいたことは・・・。
    「どこにも答えが載っていなかった」ということ。
    その理由は
    「だれもやってないから」
    というのが結論でした。
    だったら、自由にやろう。感情の赴くままに。そう決めました。

  • ブランド名

    頭の中が死装束のことでいっぱいになりつつある、ある日のこと。春のお彼岸ということで、久しぶりにお墓参りにいくことにしました。当時、父の霊園では、ドコモのガラケーの電波が入らなかったため、お墓は誰にも邪魔されない、私にとって特別な隠れ家となっていました。父と私を近くに感じさせてくれる、天国との交信の場のような、秘密基地のような。
    きれいになったお墓に線香をあげ、ベンチに座り、音のない世界で心呼吸。
    鳥の声、風の音、葉のすれあう音。
    「お父さん、これからどうしたらいいとよ…」
    目を閉じるとなぜか、急に涙が、ポロポロポロポロ。
    そして、こぼれないように空をあおいだら、山の上の桜の枝先がふっくらと、春の支度をととのえていることを知りました。まるでその姿は、父が天から励ましてくれているような気がしました。
    迷ったら行け、そんな声が聞こえてくるようでした。
    「そうだ さくらさくら にしよう」。
    ひらがなで、やさしく。繰り返す、別れと出会い、日本の美、人々に愛される、美しい心・・・。 

  • 商標登録

    次なる挑戦は、さくらさくらというありふれた商標権利を必ず取得すること。「さくらさくら」の商標は、指定商品(役務)を「遺体覆い・経かたびら」、「洋服・和服・帽子ほか衣類全般」の2群で網羅したいと考え、自身で出願することにしました。何事もまずは自分でやってみること。失敗しても経験から得るものは大きい。次へとつながるヒントが隠されていることが必ずあるというのが自論です。一度は、拒絶証書が届き愕然としましたが、このネーミングでなければ、さくらさくらの死装束への想いは成立しない、これは引き下がれない、と一群に意見書、もう一群には補正書をつけて、福岡知的財産総合センターの相談窓口に通いづめ、パソコンを借り祈るような気持ちで再申請しました。
    すると、時間はかかりましたが同時受理の知らせが届き、万歳をしたことが今では懐かしい思い出です。初心者の私の出願に、厳しく伴奏してくださった、福岡知的財産総合センターの方々が「これは、あなたに頑張れって言っているようなもの。肝心なのは商品!いろいろあると思うけど、頑張るのよ!」と、不安でいっぱいの背中を力強く押してくださったこと、今も感謝に堪えません。

サンプルイメージ
  • ファーストサンプル

    さて、いよいよ衣装制作へ。
    ここから先は専門分野。スムーズに進めることができました。

    参考文献は
    喪服史、服装史
    フォーマル、介護、ベビー服
    ファッション、メディカル。
    葬送儀礼、日本文化、お葬式のマナーやしきたりなど
    腑に落ちるところまで広範囲に情報収集し、答えに迷ったらまた収集。
    そこからイメージを膨らませ、ラフを描く。そして一気にディテールまでブラッシュアップを重ねる。寝ても覚めても連綿と連なるこの作業の先に、正解があらわれるという感じです。
    さくらさくらの「定義」と「理念」をベースに、
    映える色相は?
    着せやすい工夫は?
    肌にやさしい素材は?
    式にふさわしい佇まいは?
    考えすぎると前へ進めなくなるため、考えながら次々とカタチにしていきました。
    実は私が最も大切にしていることは「死生観」と「倫理観」への配慮です。
    故人と遺族の気持ちに寄り添い、癒しとなることが、さくらさくらの使命であるからです。

    知人の紹介で、まずは地元の葬儀社さんをまわり、わけもわからず霊園を訪ね、お寺や神社に伺い、「こういう商品は問題ありませんか?」と尋ねてまわりおかしな点はないのかインタビューしてまわりました。きっと迷惑千万だったに違いありません。どのようなご意見もひとつひとつがありがたく、不審がられることもありつつ、葬祭品は、うわべだけの提案では全く通用しないことに気づく貴重な活動でした。

  • お披露目

    いよいよ運命の日、2006年6月。
    パシフィコ横浜で毎年開催される、綜合ユニコム社主催フューネラル(葬儀)ビジネスフェアに初出展しました。
    全国から葬祭事業者が一堂に集う業界髄一の展示会。何の縁もゆかりも知人も居ない、展示会。ネットで開催を知り、思いきって出店に踏み切りました。

    開催前夜。経験したことのない会場スケールに、地方からの慣れない搬入に四苦八苦。約束の設営終了時間を過ぎた頃、背後から主催者さんらしき男性の声。
    「あのぉ、まだ時間かかります?」
    「はい、もう終わりますので!」
    「それにしても、すごいですね」
    「?? すみません、すぐ終わらせますので!」
    「いや、こういう死装束現代版、みたいなのって今までもあったんですよ。」
    「はあ・・・」
    「そしてすぐ撤退しちゃうんですよ、売れなくて」
    「?? 売れないんですか?」
    「全く売れなかったんですよ。変なの多くって。でも・・・これはいけるんじゃないかな。10年後くらいに」
    「10年もですか?」
    「そうですよ、この業界はね。そんな甘い世界じゃないんですよ。だから10年は頑張ってくださいね」
    「・・・」
    「大丈夫。おたくはコンセプトがしっかりしてる。消費者目線でいい。わかる人だけに売ればいい。わからない人に失礼なこと言われたらね、あなたには一生売りませんってはっきり言ってやればいい。そんな気持ちでやるんですよ、この商品は(微笑)」

    どうにか設営を終え、迎えた初日。
    お隣は、老舗骨壺メーカーのトモエ陶業さん。お向かいは遺品整理のキーパーズさん。どちらもお得意様が絶え間なく、大盛況。
    それにしても弊社ブースは・・・
    「何これ?仏衣?」
    「転がすとき破れるんじゃない?」
    「いくらなんでも不謹慎でしょう」
    「どうせ燃やすのに」
    まるで矢のように突き刺さる厳しいご意見。

    そして迎えた最終日。
    一人の女性が駆け寄り、静かに資料に目を通す。
    「素敵。ねえ、面白いのがあるから見てみて」
    同僚の方を手招き。
    「うわあ、きれい!」
    「すごいね…」
    すると一気に、黒山のひとだかり。
    「ついにこういう時代がくるのかなぁ」
    「いるいる、こういうの、好きな人」
    「いいものを見せてもらいました」
    「母に着せたいわぁ」

    ひとこまブースの小さな一歩ではありましたが、ゼロからの出発でしたので、苦言を含めすべてが財産となり、次に踏み出す勇気となりました。
    ちなみに前述の男性は、フューネラルビジネス展主催 総合ユニコム社フューネラルビジネス事業部統括部長の故・波多野豊さんでありました。
    波多野部長には、身に余る業界の著名な方々とお繋ぎいただき、応援していただきました。銀座のお蕎麦屋さんで、「おくりびと」放映前の東映試写室で、「何か困ったら僕に連絡ください。地道にコツコツやるんですよ(微笑)」のやさしいお顔が浮かんできます。この場を借りて、心からの感謝とご冥福をお祈りいたします。
    ありがとうございました。

  • 営業で出会った人々

    早々に、展示会後の営業が始まりました。当時はスマホもない時代。駅探のコピーを片手に、方向音痴の全国行脚の旅が始まりました。波多野部長のおっしゃっる通り、すぐに取引が決まることはありませんでした。
    こちらは遠路九州から意気込んで参上しても、担当者の施工(葬儀)が入り商談がキャンセルされることも日常茶飯事。
    施工が終わる寸前まで待機し飛行機を逃したこともありました。
    北海道から四国、九州まで。印象に残った方の名刺を手がかりのようにして、ピンポイントで訪問しました。当初は商談どころか、お葬式の習慣も葬具も土地柄で全く違っていることで、かえって教えを乞うことの方が多くいったい何をしに行ったのかわからないような失態の数々。それでも親切に対応してくださった方々に恵まれたことは、とても幸運でした。
    表面的なデザインチェンジだけでは全く通用しない、葬儀の世界。
    どのようにすれば、さくらさくらをお客様に届けることができるのか、喜んでいただけるのか。それは長い道のりの始まりにすぎませんでした。

    ・・・続く

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